カメラの祖
今や誰しもがスマートフォンを持ち、搭載されているカメラで撮影が可能な時代ですが、カメラの歴史を紐解いていくと、もとは約1000年前に発明された風景を暗箱に投影する「カメラオブスキュラ」に行き当たります。
正確な話をしだすときりがないので、ざっくりとした解説となります。
気になる方はぜひ文献などを調べてみてくださいね!
カメラオブスキュラはラテン語で「暗い箱」となり、これがカメラの語源となっています。
このカメラオブスキュラは箱に空けたごく小さい穴を通して風景を暗い箱の中に投影し、すりガラスなどを用いてトレースし、風景画を作成する道具でした。
風景を形として残す取組み
人々は長年この仕組みを利用して、もっと早く、手軽に、正確に風景を残そうとしました。
それに成功したのがフランスの科学者ニエプスとダゲールです。
ニエプスは銀とチョークの混合物に光を当てると黒くなるという性質を生かして、現在のフィルムの源流となるものを作り出し、小さな木製暗箱を使用して世界で最初の写真撮影をしたといわれています。
その数年後、ダゲールは別の手法で画像を得る方法を考案し、現像、塩溶液で定着した銀板写真を発明しました。
この技法を採用した世界最初の写真用カメラが「ジルー・ダゲレオタイプ」と呼ばれています。いわゆる、銀塩写真の始まりです。
フィルムの開発
その後写真感材の研究は進み、「写真乾板」にて露出時間の短縮が実現され、いよいよジョージ・イーストマンによって写真用フィルムの本格開発が始まりました。
コダックは現代まで続くセルロイドベースのフィルムを開発して、ロールフィルムや映画用35mmフィルムを開発しました。
カメラの小型化
カメラの小型化を飛躍的に進めたのは、現代でも世界のトップカメラメーカー「エルンスト・ライツ社」です。
ライツ社は映画用フィルムを36mm×24mmで使用する手法を用いて、現在まで続く35mmカメラの元祖となる「ライカ」を開発しました、
ライカは小型、軽量で写真を手軽に撮影できることを証明するだけでなく、優秀なレンズの開発して、高精細な画像を残すことにも成功し、手軽なカメラだからと言って画質も妥協しないという可能性を示唆していました。
一眼レフカメラの台頭
ライカが開発した35mmカメラは瞬く間に世界を席巻し、各国各社も同様のカメラの開発に腐心し始めていました。
ライカはもちろん世界のトップを走り続けていました。
当時のカメラの主流は「レンジファインダーカメラ」と言われるタイプのカメラで、距離計によってピント合わせを行うタイプでした。
そんな中でライカが世に送り出した「M3」の登場によって、各国他社との技術差は明らかとなってしまったのです。
そんな中、日本では一眼レフカメラの開発が進みます。
最初の一眼レフカメラを作ったのはミランダ。
クイックリターンミラー搭載のアサヒフレックスII
などが開発され、レンジファインダーカメラよりもピントや構図合わせがしやすい一眼レフは徐々にシェアを獲得し、ついに日本光学が「Nikon F」を発売して、世界中のカメラは日本製の一眼レフがあふれていくこととなるのです。
オートフォーカスの時代へ
世界中でカメラの研究が進む中で、カメラメーカーの至上命題は「いかに自動化するか」となりました。
絞り優先やシャッタースピード優先、プログラムオートと露出に関する自動化が進み、いよいよピント合わせの自動化の時代がやってきます。
世界初のオートフォーカス搭載カメラMINOLTA α7000によって、写真を撮るという行為は一層身近になり、カメラの進歩を色濃く感じた出来事です。
デジタルカメラの発売
時代はさらに進み、今現在の主流となっているデジタルカメラが開発されます。
デジタル一眼レフ、コンパクトカメラなど各社の趣向を凝らしたカメラが多数市場参入してカメラの時代はますます身近になっていき、現在ではスマホにもカメラが搭載、デジタルカメラもミラーレスが主流になっています。
最後に
カメラの歴史についてざっくりとお話ししました。
今私たちが気軽に使っているスマホカメラに至るまでも、前人の研究や努力があってこそのもの!
便利な時代をかみしめて、昔の人々が残したかった「今」を残していきましょう!